2012/10/01

内田樹 / 街場の文体論


この本を読んで泣いた、という人がいて僕はまさか、と思っていました。
この本を読み終えるまでは。
文体論の本で、「クリエイティブ・ライティング」と呼ばれる授業をまとめた本で、何故涙を流すのか。まさか、と思っていました。

しかし僕は泣いたのです。この本の最後の授業は「リーダビリティと地下室」というテーマで最後の項は「言葉の魂からくるもの」というものでした。ここでは村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチが引用されていました。村上春樹の熱心な読書ならお分かりでしょうがここで引用されているのは有名な「卵と壁」の部分ではなく彼の死んだ父親の話です。僕も著者と同じように驚きました。村上春樹が家族、しかも父親について話すことは極めて稀だったからです。ここではとても書き切れませんが、父親は徴兵され中国へ送られた。前後生まれた村上春樹は毎日仏壇の前で手を合わせ祈る父親へ尋ねます。「なぜ祈るのかと」「戦場で死んだ人々のために祈っているのだ」と父は息子に教えます。そして父は息子の知らない記憶を持ち去っていく。

この本を読み終える日の朝、たまたま、本当に偶然に、村上春樹が朝日新聞へ中国との領土問題について寄稿した。文化交流に影響を及ぼす事を憂い、「国境を超えて魂が行き来する道筋を塞いではならない」と書いています。
村上春樹と文体論にどういう関係があるの?と聞かないでください。

ただ、僕はこの時「言葉の魂からくるもの」というのを「理解」しました。この本を読んでから、もう一度朝日新聞を読んだ時、著者の言う「届く言葉=言葉を届かせたいという熱意」「襟首をつかまれて、頼む、わかれ、わかってくれ」と身体をがたがた揺さぶられるような感じ、というのが理解出来た。著者の言うように脳ではなく、皮膚で理解出来た。
著者は言う『僕らの身体の中にあって、言葉や思想を紡いでいく基本にあるものはかたちあるものではない。~言葉というのは、「言葉にならないもの」を言わば母胎として生成してくる。それをソウルと言ってもいい』
そのような言葉だけが他者に届く。
魂の継承を理解し、著者と村上春樹の言葉が「届いた」から僕は泣いたのだと思います。

言葉を届けることは本当に難しい。でもこの本を読んでまた少し言葉について理解出来ました。他にも教育、子育て(子どもを育てることを損得勘定で考えてしまう社会)、お金について言及しています。著者の本はとにかく読み易い。難しい単語も幾つも出てきますが、それでもぐいぐい読ませる。何かモヤモヤして生きづらい社会だなと思っていたら少しスッキリするかも知れません。